明るいシステム倶楽部-雑記帳-3

鈴木忠彰さん【徳島新聞】掲載から「県出身者遠くでトーク」


鈴木忠彰さん【日刊ゲンダイ】サラリーマン特集掲載から

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日刊ゲンダイのサラリーマン特集・1000人の証言-年金では生きられない
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明るいシステム倶楽部(NPO)の理事・事務局長の鈴木さんが、7月10日、11日、12日に掲載された記事をご披露します。/芦田
◆元気に生きるには、生きがいが必要です。鈴木さんも生きがいを見つけました。
◆考えるだけの人と実践出来る人がいます。鈴木さんは実践できたのです。
◆人の役に立っているという気持ちが健康と元気の源のようです。

【1】==========================
「57歳の時に早期退職でキツパリ会社を辞めました。定年まで働いて協力会社で働くという選択肢もありましたが、2人の息子を男手ひとつで育て上げ、〈これからは自分の人生を楽しもう/〉と思ったものですから.それに、会社 員としてやるべきことはすべてやり尽くしましたので・・・・」 

鈴木さん(64)はヽ現役時代の最後の8年間は四国に単身赴任した。同僚や後輩には老後が心配だからと、できるだけ長く働こうとしている人もいるが、緊縮財政の中で公共工事の受注額が半減し、給与や賞与は減らされているようだ。 「限られたパイの取り合いになるのですから、後輩に迷惑がかかるのは目に見えています。私の場合、退職金の上乗せ金として年収分(700万円弱)をもらい、さらに会社都合退職ということで11力月分の失業保険を手にしました。これなら、ぜいたくをしなければ定年までは仕事をしなくても食べていけます。〈少し早まつたかな〉と思ったこともありますが、57〜 60歳の3年間のモラトリアムな生活が、残りの人生に大きな影響を与えることになります」 7歳の頃、宇高連絡船「紫雲丸」が衝突沈没し、修学旅行中の小学生ら168人が亡くなる事故が起こった。

「子供心に〈本州と四国の間に橋があれば事故がなかったのに … 〉と感じたものです。いつか四国と本州に橋を架ける仕事がしたいと、愛媛大の土木工学科に入学しました。その思いが通じたのか、西武建設時代の97年に本州四国高速道路関連工事に携わり、翌年に明石海峡大橋開通を目の当たりにできました。まさに〈サラリーマン人生に悔いなし〉です」 大学時代は漕艇部に所属し、主将としてチームを優勝に導いたこともあった。ロンドン五輪に後輩の武田大作選手(ボトト男子軽量級ダブルスカル)が出場するのが、最近の自慢ネタになっている。 「思えばあ歳の時に妻を病気で亡くしヽ翌年に阪神大震災に遭遇した。震災復興に従事する中で、〈命とは何か? 〉ということに直面するようになり、仕事に対する考え方も変わっていきました」

【2】==========================

鈴木さん( 64)は、45歳の時に妻を病気で亡くした。それとともに仕事に対する考え方も少しずつ変わっていった。
「腰の痛みを押してまで行く付き合いゴルフ。接待の飲み会。不規則な勤務時間。家族と離れて暮らす単身赴任の生活。こんな寿命を縮めるような生活を改めたい、そのためには早く会社を離れないといけない。55歳を過ぎてからは、会社を辞める機会を探していたような気がします」 57歳の時に会社を早期退職した。案の定、長年の不摂生がたたり、会社を辞めた時、内臓脂肪やγl GTPが高めで、高血圧と診断された。いよいよ生活習慣を改めないといけない。 「まずは酒をキッパリとやめました。会社では酒豪で通っていただけに周囲からのお誘いも多かったのですが、ここでくじけては元も子もないと断り続けました。すると付き合いが悪いと誘いが来なくなりました」 他にも自家用車を手放して、なるべく歩くようにした。酒代、ガソリン代、ギャンブル代(競馬)など、月に数万円の節約。

「妻がいないので食生活の管理も自分でしないといけません。節約と健康のために自炊を心がけ、メニューに〈まごは(わ)やさしい〉を取り入れています」スポーツ選手も取り入れている食事法で、「豆、ゴマ、ワカメ、野菜、魚、シイタケなどのキノコ類、芋類」の頭文字から来ている。 「体に必要な栄養をバランスよく、体に負担をかけずに摂取できる理想の食事だと聞いていなるべく実践しています。1日1万歩。夜10時以降は食べない。食事は腹八分目“体重や血圧、血糖値を記録する。そうそう、3カ月に1度は、歯医者で歯のメンテナンスもしているし、健康で社会貢献するためのプログラムを標語にして壁に張っています。この辺は現役時代の工程管理のノウハウが生かされているのかもしれませんね」 鈴木さんはそう言って笑う。厚生年金の給付開始を4年前の60歳に前倒しした。
「月額にして1万円ほどのマイナスですが、子供も独立していますし、節約をすれば何とかなります」

【3】==========================
鈴木さん( 64)は57歳で会社を早期退職してから、生涯続けられる仕事を見つけるまでに3年もかかった。
「最初の2年間はほとんど何もつかめないままでした。大手人材派遣会社に登録し、自営業として仕事を請け負う形をとっていました。しかし、健康器具の販売や新商品の販路開拓などは、今までやってきた経歴がほとんど生かされない。ここの登録者は大手企業で管理職を経験した人が多く、プライドが高くて頭を下げて回る営業なんて無理のようでした」 組織は、セミナーや商品説明会を開催してくれるが、細かい指導はない。セミナーの後は親睦会と称する飲み会。 「これがまるで会社の宴会みたいで、サラリーマン時代の名刺や自慢話が飛び交う。まったく不毛で無駄な時間ですよね」

鈴木さんは徳島県出身。故郷への思いは断ちがたい。
「もう、大阪に住んで27年になります。現役時代は、東京、大阪、四国と転勤生活をしてきました。子供の学校のこともありましたので、大阪に中古マンシヨンを購入し、最後の8年間の四国は単身赴任。その頃から故郷のために何かできないかと、第2の故郷である大阪との橋渡しをすることを考えていました。徳島は阿波踊りと共に戦国武将の三好長慶が有名です。この堺を拠点に天下取りを目指した武将をテーマに、毎年、徳島と大阪で大きなイベントが開催されます。弟が徳島でイベント事務局をやっている関係で、私も徳島交流大使を受け、こちらの仕事もさせてもらっています」  また、NPO「明るいシステム倶楽部」の事務局長、理事としても働いている。

「関西の中小企業を元気にすることを目的に、3カ月に一度、〈あなたの会社は明るくて元気です/〉と表彰しています。この年になって名刺を2枚も持っているなんて、なんてぜいたくなのでしょう。 NPOは無給ですが、iP adやiPh oneをタダで教えてもらえます」 人の役に立っているという気持ちが健康と元気の源のようだ。


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